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ポーランドの作曲家、クシシトフ・ペンデレツキ誕生(1933〜)
2004年11月23日(火) sun.gif
 
映画『エクソシスト』にも使われた音楽

 「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1960)で一躍、国際的に有名になったペンデレツキ。彼の作曲家への道は、なかなか険しいものでした。音楽との出会いは少年時代に習い始めたバイオリン。しかし第2次世界大戦で楽譜がほとんど手に入らず、先生がペンデレツキのために練習曲を書いてくれたことが作曲に興味をもつきっかけになりました。大学入学後54年頃から本格的に作曲を学びますが、社会主義体制下で西側の新しい情報はまったく入らない状況。やがて社会主義の雪どけで少しずつ、自由な創作が可能になりました。56年には社会主義圏で初めての現代音楽祭が、ワルシャワでスタート。ブーレーズやノーノら西側の同時代の作曲家との交流に刺激を受け、ペンデレツキの才能はようやく花開いたのでした。

 出世作となった「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は、ナチのポーランド侵攻を知るペンデレツキが広島の被爆の惨状に思いをはせて書いたもので、52本の弦楽器が特殊な奏法により打楽器のような音色を奏でる、当時きわめて前衛的な作品でした。自身のカトリック信仰に根ざした宗教作品も数多く、代表作の「ルカ伝受難曲」は前衛と伝統とをたくみに融合させた傑作です。また、彼の作品は不安や緊張をあおるような独特の音響効果があるためか、映画『エクソシスト』にも使われているので、ペンデレツキと知らず耳にした方も多いのではないでしょうか。

 なお指揮者としても、これまでベルリン・フィルや北ドイツ放送交響楽団、ニューヨーク・フィルなどに積極的に客演しています。「私が指揮をするのは自分の音楽を説明するためです。楽譜にすべてを書き込むことはできません」と語るペンデレツキ。1999年秋には東京の「ペンデレツキ・フェスティバル」で日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。自作に限らない幅広いレパートリーを披露し、多くのクラシックファンをわかせたのも、記憶に新しいところです。
 



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