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雅楽奏者、東儀秀樹(とうぎひでき)誕生(1959〜)
2004年10月12日(火) sun.gif
  新時代の雅(みやび)をつむぐ雅楽の貴公子

 奈良・平安の昔から脈々と受け継がれてきた日本独自の宮廷音楽「雅楽」。その継承者として、いにしえの響きを今に伝え、さらに新しい音楽世界を色鮮やかに広げているのが雅楽奏者、東儀秀樹です。

 公家装束も見事に決まる端正なルックス。母方の東儀家が、約1300年前から続く「楽家」(がっけ:宮廷に仕え、雅楽の演奏を仕事とする家柄)という血筋の良さ。“雅楽の貴公子”とも称される東儀ですが、意外にも少年時代は洋楽一辺倒でした。商社勤務の父に伴われ、幼少期を海外で過ごした彼は、ロック、ジャズ、クラシックなど多彩な欧米の音楽を聴いて育ち、とりわけ当時世界を席巻していたビートルズに強く憧れます。長じてからも、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルといったロック・バンドのコピーに明け暮れる毎日。一時は本気でロック・ギタリストを目指したこともあったそうです。

 楽家の血を引きながらも、それまで特に雅楽の教育を受けることのなかった東儀ですが、高校卒業後は、周囲のすすめもあって宮内庁式部職楽部(くないちょうしきぶしょくがくぶ)に入り、楽師の道へ進みます。悠久の時に磨かれた雅楽の奥の深さに魅了されるうち、彼はいつしか幼少の頃から親しんできた現代の音楽と雅楽を織り交ぜた、全く新しい音楽の創作に情熱を傾けるようになっていきます。1996年には、シンセサイザーやピアノを採り入れたオリジナリティあふれる雅楽アルバム『東儀秀樹』をリリース。どこか懐かしく、それでいて新しい東儀サウンドは、多くの人々の心をとらえ、5万枚のセールスを記録します。これは「雅楽のCDは1000枚売れればヒット」という業界の常識を覆す異例の出来事でした。同年、彼はもっと自由な創作活動をめざして、宮内庁を退職。自他共に認める“異色の宮中楽師”は、世界でただ一人のフリー雅楽奏者として羽ばたくのです。

 「洋楽も好きだし、雅楽にも夢中。そんな僕にとって音楽のボーダーはきわめて緩やかなもの。ただ自分が気持ちいいと思える音楽だけを求めているんです」。その言葉通り、バッハの「G線上のアリア」を篳篥(ひちりき)で演奏したり、ニューヨークフィルやバレエの熊川哲也氏とジョイントするなど、自らの好奇心のおもむくままに、ジャンルを越えた自由な活動を続ける東儀秀樹。新しい時代の雅を紡ぐアーティストとして、今後ますますの活躍が期待されています。

★東儀秀樹オフィシャル・ウェブ・サイト
http://www.toshiba-emi.co.jp/togi/
 



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