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作詞/作曲/放送作家、三木鶏郎没(1914〜1994)
2004年10月07日(木) sun-or-crowd.gif
  戦後の放送音楽・商業音楽を切りひらいたマルチタレント

 昭和20年代のNHKラジオ番組『日曜娯楽版』で人気を集め、CMソングづくりの草分けとしても活躍した作詞・作曲家の三木鶏郎(みきとりろう、本名・繁田裕司)。東大法学部を卒業したエリートですが、6歳のときオルガンを手にして以来親しんだ音楽への情熱やみがたく、徴兵され新兵教育を担当した軍隊時代も、軍務の合間をぬって作曲家の諸井三郎に師事。ある中隊のために「隊歌」を作ったら、他の隊からも注文が殺到したそうです。

 終戦後、焼け跡の貧しさと開放感を歌った「南の風が消えちゃった」を作り、NHKラジオ『歌の新聞』に出演。翌朝の新聞で「彗星の如き天才現わる」と絶賛されます。翌年からラジオの『日曜娯楽版』で「冗談音楽」コーナーを受け持ち、モダンで明るい楽曲の合間を社会風刺の効いたコントでテンポよくつなぐ構成で大人気を獲得。聴取率は80%とも90%とも言われ、番組からは「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」「毒消しゃいらんかね」などのヒット曲が続出しました。またジャズ・バンドの三木鶏郎楽団(ジョージ川口、小野満、鈴木章治、他)も結成、活動の場を舞台、映画にも広げました。

 1951年、民間放送開局にあわせ、日本初のコマーシャルソング「僕はアマチュアカメラマン」を発表。「ワ・ワ・ワ・輪が三つ」「明るいナショナル」「キリンレモン」など商品・社名連呼型“コマソン(=コマーシャルソング)”の全盛期を築きます。また53年にはディズニー映画『ダンボ』『わんわん物語』の日本語版音楽監督をつとめ、テレビの始まった60年代には『鉄人28号』『トムとジェリー』『ジャングル大帝』のテーマソングも担当。放送・商業音楽の黎明期に、まさに八面六臂の大活躍をしたのです。

 また42歳の時、糖尿病が判明しますが、病気だって楽しんでしまおうというのが“冗談音楽精神”。同病者に呼びかけて「糖尿友の会」をつくり、月例会を開いてしゃべったり、カロリーの低いうまい物を食べ歩いたり…。『私の愛する糖尿病』という本も書いて、全国の糖尿病患者に希望を与えました。

 こんな三木鶏郎の周りには、多くの才能が集まりました。作家に、キノ・トール、永六輔、五木寛之、野坂昭如、他。作曲家に、神津善行、いずみたく、他と多士済々。また歌手の楠トシエ、中村メイ子、他や、俳優のなべおさみ、左とん平、他など、門下から多くの放送関係者を輩出したのです。晩年はハワイと日本を往復して悠々自適の日々を過ごし、94年、自伝の後半を執筆中に80歳で大往生。青山葬儀所で行われた音楽葬では、遺影のかわりに大きな似顔絵が飾られ、代表作品の数々がにぎやかに演奏されて、鶏郎の偉業を偲びました。

★三木鶏郎資料館ホームページ = http://www.gpweb.com/mikitoriro/
 



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