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仙台の七夕と博多の夏
2004年06月18日(金) rain-or-crowd.gif
  ・仙台の七夕まつりについて

仙台七夕まつりは、青森のねぶた祭り、秋田の竿灯祭りとともに東北三大祭りの一つと数えられ、まつりの歴史は仙台藩政時代にさかのぼり、全国的に有名になったのは戦後のことである。
期間中は、仙台駅から西に伸びる名掛丁、中央通の商店街と、これに交差する一番町商店街の延長約2kmが中心となり、千数百本の華麗な竹飾りがアーケード街を華やかに彩る。

七夕飾りの基本は短冊と吹き流しで、各商店街や地元の人たちが、数カ月前から色とりどりの和紙を用いて手作りで準備する伝統的な七夕飾りで、全国的にも珍しいものである。
また、七夕期間中は夕方5時から7時まで定禅寺通で「七夕パレード」が行われ、前日の5日には前夜祭として広瀬川河畔において七夕花火まつりが催される。
なお、昨年は210万人を超える観光客が訪れた。


・博多と福岡

行政上は福岡市、空港も福岡空港と呼ぶのに対し、JRは博多駅、港も博多港。お土産に品にしても、博多人形や博多織等と呼びます。また、祭りは博多山笠、博多どんたく松囃子等、博多の方が全国的にも有名です。
博多は大和朝廷時代(6世紀頃)九州を治め、大陸との外交を掌る大宰府の外交として開け、平安時代に入ると、日栄貿易を始め、大陸・朝鮮貿易の中心地として栄えました。その後、永禄・天正年間(16世紀頃)大友・毛利・島津・龍造寺氏等が九州に霸を競い、博多は何度も戦火に遭い、灰燼に帰しました。

天正15年(1587年)に、豊臣秀吉が博多復興に着手し、「博多町割り」と称する都市計画を実施しました。今日の博多山笠・博多松囃子を運営する組織「流」の原型はこの時できたものと言われています。
下って徳川時代、筑前ノ国に封ぜられた黒田氏は、博多の西郊に居城を構え、城下町を黒田氏の出身地に因んで福岡と命名します。 以後町の中央を流れる那珂川を挟んで、西側を福岡、東側を博多と呼びました。

明治22年(1889年)、市制が施行され福岡市が誕生します。翌23年1月の第2回市議会に於いて、博多・川端町出身の亀井議員が「市名変更(博多市とする)の儀を提案しますが、スッタ・モンダの末、1票の差で否決し、これで福岡市の名称が確定しました。
その年の12月、博多〜久留米間の鉄道が開業し、駅名を「博多」とすることで、市名に対する博多部の不満を押さえた。
 



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