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作曲家の中村八大と猪俣公章、没
2004年06月10日(木) sun.gif
  作曲家の中村八大(1931〜1991)と猪俣公章(1938〜1993)没

「上を向いて歩こう(スキヤキ)」の作曲家・中村八大

 邦楽で初めて、アメリカのヒットチャートのトップを飾ったのは、坂本九の歌う「上を向いて歩こう(アメリカでは「スキヤキ」)」でした。ジャズの雰囲気を感じさせるこの名曲を作曲した中村八大は、第二次世界大戦後、アメリカ軍キャンプを回りながら、ジャズ・ピアニストとして活躍していました。

 彼が作曲家として知られるようになったのは、東宝映画『青春を賭けろ』で初めての映画音楽を書くことになった27歳の時でした。「翌日までに10曲作る」と映画会社と約束したのですが、作詞家が見つかりません。たまたま有楽町を歩いていると、以前から顔見知りで、放送作家として活躍していた永六輔とばったり出会い、それも縁だからと、作詩を頼むことにしました。後に「六・八コンビ」と呼ばれたヒットメーカー誕生の瞬間です。この時に作られた「黒い花びら」は、第1回日本レコード大賞を受賞しました。「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」も、このコンビによる名曲です。

「港町ブルース」の作曲家・猪俣公章

 演歌の名曲を残しただけでなく、多くの演歌歌手を育て上げた猪俣公章。日大芸術学部に在学中からバンドマンとして活躍し、演歌の大御所作曲家・古賀政男に師事して作曲を学びました。26歳で作曲家としてデビューし、森進一を見い出して「女のためいき」「おふくろさん」「港町ブルース」などの大ヒットを生み出しました。

 彼は若手の育成にも力を入れ、才能のある演歌歌手を“内弟子”として自宅に住まわせ、炊事、掃除や洗濯など、生活の基本から身につけさせました。そのレッスンは非常に厳しく、どんなにうまく歌えても、心がこもっていないと認めてもらえなかったといいます。内弟子になった人もレッスンだけだった人もいますが、藤あや子、香西かおり、坂本冬美、マルシアなど、現在の演歌界を支えている歌手の多くが、彼の教えを受けています。
 



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