個別表示

ジャズ・キーボーディスト、ハービー・ハンコック誕生(1940〜)
2004年04月12日(月) sun.gif
  フュージョンの先駆け

 「ジャズは表現する道具の一つ」と言い放つミュージシャン、ハービー・ハンコックは、アメリカのシカゴで生まれました。彼の音楽の才能は幼いころから開花し、7歳でピアノを始め、わずか11歳にしてモーツァルトのピアノ協奏曲をシカゴ交響楽団と共演。クラシック・ピアニストとして始まった彼の音楽人生は、高校時代からジャズにフィールドを移し、その後、ファンクやロックやダンスミュージックそして民族音楽にまで広がっていきます。

 マンハッタン音楽学校卒業後ニューヨークでプロのジャズピアニストとして活動をスタート。その頃マイルス・デイヴィスのバンドのピアニストとして迎えられました。マイルスの提案でエレクトリック・ピアノを弾き始めたハービーは、マイルスからコードにとらわれない演奏スタイルを求められました。そして、マイルスのバンドにいた5年間で、ハービーは、伝統的なジャズのスタイルに縛られない洗練された曲作りを学びました。

 やがて、ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンに代表されるファンクミュージックに強く引かれ、ジャズのスタイルを保ちながら電子楽器を導入した、後にヘッドハンターズとなるバンドを73年に結成。それまでジャズではメインに使われることのなかったシンセサイザーや、マイクを通した自分の声を加工しながら鍵盤でメロディを弾くヴォコーダーを前面に押し出した曲「カメレオン」とアルバム『ヘッドハンターズ』は、その斬新なサウンドで、多くのファンを作りました。

 しかし、彼はこの成功に留まらず、83年のアルバム『フューチャー・ショック』では、それまでの音楽性から一転、コンピュータを駆使したダンスミュージックを作り大ヒット。その中の曲「ロックイット」でグラミー賞を受賞。更に次作『サウンド・システム』でもタイトル曲でグラミー賞を受賞し、ジャズではなくヒップポップで自らの新しいサウンドスタイルを確立しました。そして、86年、自らジャズ・ピアニスト役で出演した映画『ラウンド・ミッドナイト』では、久々にオーソドックスなジャズの映画音楽を制作しアカデミー賞音楽部門を受賞。ついに彼の名は、音楽ファンのみならず多くの人に知れ渡ることになりました。
 



- Web Diary Professional ver 2.28 -