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クレージー・キャッツの植木等誕生(1927〜)
2004年02月25日(水) sun.gif
  親鸞の教えにも通じる?ナンセンス・ソング

 最近ではドラマや映画などで、味のあるおじいさん役を演じることの多い植木等も、60年代には“ハナ肇とクレージー・キャッツ”のボーカリストとしてヒット曲を連発し、映画『無責任男』シリーズが次々と作られる大スターでした。高度経済成長、モーレツ社員、そんな時代に、能天気を絵に描いたような彼のキャラクターは、普通のサラリーマンにとっては憧れだったのです。

 そんな植木等の生まれは、なんと浄土真宗のお寺の息子。大学も仏教系の大学に進みましたが、勉強はほとんどせず、在学中からドサ回りの歌手をしていたそう。その後、フランキー堺のバンドに参加してジャズと笑いを勉強し、コミック・バンドを目指していたハナ肇とクレージー・キャッツに谷啓とともに加入。「大人の漫画」や「シャボン玉ホリデー」などのTV番組に出演し、後に東京都知事となる放送作家の青島幸男が作詞した「スーダラ節」が、61年に番組から大ヒットしたのです。

 この「スーダラ節」、植木等がマージャンで調子がいいときの口癖だった“スイスイスーダラダッダ〜”をヒントにしたものだそうですが、あまりのナンセンスさに当の植木も最初は歌うのに悩んだそう。そんなとき、住職でもある彼の父親はこう言ったそうです。「この“分かっちゃいるけどやめられねえ”というのは、人間の弱さを言い当てていて、親鸞の教えに通じるものがある」……この一言で踏ん切りがついたのか、彼はその後も「こりゃシャクだった」「ハイ それまでヨ」「無責任一代男」「ホンダラ行進曲」「ゴマスリ行進曲」などを次々とヒットさせ、ナンセンス・ソングの帝王となったのでした。
 



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