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「夜会」で新境地を拓く、中島みゆき誕生(1952〜)
2004年02月23日(月) sun.gif
  70/80/90年代。3つの世代でチャートNo.1を記録

 1975年「アザミ嬢のララバイ」でデビューし、同年の「時代」で第10回ポピュラーソング・コンテストと第6回世界歌謡祭の2つのグランプリを獲得した中島みゆき。以来、数多くのヒット曲を生み続け、松任谷由実と並んで“ニューミュージックの女王”と呼ばれています。シングル・チャート1位になった代表曲をあげると、1977年「わかれうた」、1981年「悪女」、1994年「空と君のあいだに/ファイト!」、1995年「旅人のうた」。つまり、70年代、80年代、90年代と3つの世代(decade)で1位を記録。日本でこの記録を持っているのは中島みゆきだけです。

 中島みゆきにとって、歌を伝える基本は、つねに一人対一人のコミュニケーションにあり、1対多数という図式ではありません。彼女が聴衆一人ひとりの反応を読み取ろうとしている姿勢は、1989年からはじまり、10回目を迎えた独創的なコンサート「夜会」でさらに鮮明になります。

 「夜会」の会場、シアターコクーンは、ステージから2階の奥の座席まで約20メートル。それは、まさしく「みゆきの歌に手が届く」(第1回目のキャッチフレーズ)空間です。「夜会」は、1日のキャパシティが立見を含めて800人であること、約1ヶ月の長期公演であること、基礎にある床をはがして奈落から作り上げる舞台美術など、どれをとってもニューミュージック界では異例のことでした。そして、アルバムの収録曲などにこだわらず、彼女がいま歌いたい・聴かせたい歌を、凝った演出で聴かせる“言葉の実験劇場”「夜会」は、中島みゆきをより深く理解できる舞台として圧倒的な支持を受け、そのチケットは発売と同時に売り切れるほどの人気です。

 これらの音楽活動のほか、ラジオのDJとしても人気が高く、80年代の『オールナイ>ト・ニッポン』における過激でテンションの高い(?)トークは、いまだに語り草になっているほど。エッセイなどの著作も多く、96年には初の小説「2/2(2分の2)」を刊行するなど、書き手としても高く評価されています。さらに98年12月には、言葉の使い手としての力量が認められ、歌手として初めて文部省の「第22期国語審議会委員」に任命されたことでも話題を呼びました。

 そして2000年。99年にはいったん休止された「夜会」が、ファンの熱い期待に応えて 再開されました。また2000年には28枚目のオリジナル・アルバム「短篇集」、2001年 には29枚目の「心守歌-こころもりうた」と力作が発表される一方、デビュー以来のアルバムもずらりと再発売。歴代の「夜会」はDVDで楽しむことが出来るようになりました。70/80/90年代に続いて2000年代もNo.1記録更新の期待度100%ですね。
 



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