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故ジョン・レノンの妻で前衛美術家のオノ・ヨーコ誕生(1933〜)
2004年02月18日(水) sun.gif
   ジョン・レノンとの運命的な出会い、そして・・・

 故ジョン・レノンの妻として、おそらく世界中で一番有名な日本人が、前衛芸術家のオノ・ヨーコ。一時は“ビートルズを解散させた女性”といわれた時期もありましたが、後にビートルズ史の研究が進み、また当時は難解過ぎた彼女の芸術への理解も得られるようになるにつれ、むしろ今では“ジョンをビートルズのしがらみから解放し、真のアーティストに成長させた人物”として評価が高まっています。

 小野洋子は1933年に裕福な銀行家の娘として生まれました。何でも家の敷地の中に森があり、幼いころはその森で迷子になることもあったという、それはそれはすごい旧家に育ったようです。ところが学習院大学の哲学科をわずか一年あまりで退学し、53年にニューヨークに移住して作曲と詩を学びます。64年の詩集『Grapefruit』や、観客が舞台で彼女の衣服をはさみで切り取っていく「カット・ピース」といったパフォーミング・アートで前衛芸術界で知られるようになった彼女は、当時の若者文化の中心だったロンドンに進出。そして66年11月、ジョン・レノンとの運命的な出会いを迎えるのです。

 その舞台となったウェスト・エンドのインディカ・ギャラリーに、知人の紹介でジョンが現れたのは、ちょうどヨーコの個展のオープニングの前日のことでした。画廊の中を歩き回っていたジョンが、真っ白なキャンバスに釘と金槌が添えてある「釘を打て」という作品の前で、ふと足を止めます。「釘を打ってもいいか?」とジョン。もちろん、そうして観客に自由に釘を打ってもらって作られる作品ではありましたが、オープニングまではきれいにしておきたかったヨーコは、しばらく考えて言いました。「では5シリング払っていただければ」。まさかお金を払ってまでは釘を打つのにこだわらないだろうと。するとジョンが返した言葉は、「それではあなたに想像の5シリングを払おう。それで想像の釘を打たせてもらうよ」。

 そのやり取りがきっかけで2人の交際が始まり、すでに起こっていたビートルズ内部の人間関係の悪化もあって、ジョンはヨーコとともにアルバムを作るほうに情熱を注ぎ始めます。確かにそれはビートルズ解散の原因の一部ではあるかもしれませんが、ヨーコとの出会いがなければ、ジョンがあれほど反戦運動や平和活動に精力を傾けていたかは疑問ですし、「平和を我らに」「イマジン」「ハッピー・クリスマス」といった愛と平和をテーマにした名曲は生まれなかったかもしれません。

 80年にジョンが他界してからも、オノ・ヨーコはマイ・ペースで活動を続けており、ジョンとの愛息、ショーン・レノンとのアルバム『ライジング』のほか、昨年10月には最新作『ブループリント・フォー・ア・サンライズ』も発表。ジョン・レノン関連のイベントにも積極的に参加していますし、特に印象的なのは2001年9月25日付けのニューヨーク・タイムスに掲載された全面広告です。提供者の名前はなく、ただ一行、「Imagine all the people living life in peace」とだけ書かれていたその広告、実は、米国を襲った同時多発テロと、その報復による戦争に心を痛めたオノ・ヨーコによるものだったのです。
 



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