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歌手、石川さゆり誕生(1958〜)
2004年01月30日(金) sun-or-crowd.gif
  歌謡界を背負って立つ、演歌のヒロイン

 女の情念を歌わせたら右に出るものはいないといわれる演歌歌手、石川さゆり。デビューは1973年で、同期には山口百恵、桜田淳子、アグネス・チャンらがおり、彼女も当初は演歌歌手というわけではなかったそうですが、78年に巡り会った「津軽海峡・冬景色」で、人生の転機が訪れます。それまで演歌というと、待つ女、耐える女というイメージでしたが、「さよならあなた 私は帰ります」と、1人でも前に進もうとする女性の強さと哀しさを歌い上げ、一躍演歌界のニュー・ヒロインに踊り出たのです。そして86年の「天城越え」。「だれかにとられるくらいなら、あなたを殺していいですか」、そんな異様にテンションの高い詞と激しいメロディに、さすがに彼女も途方にくれたそうですが、ドロドロとした情念が迫ってくるような熱唱で見事に応えます。その出来栄えには、レコード会社が「過激すぎて売れない」と待ったをかけたほどだったとか。実際、発売当初は売れなかったそうですが、カラオケなどで演歌ファン以外にも熱い支持を集め、その年の紅白で彼女は、歌手にとって最高の栄誉とも言えるトリを務めることになります。

 今や名実ともに歌謡界を代表する歌手となった石川さゆりですが、デビューしたばかりのころに、あの国民的歌手・美空ひばりに向かって「ひばりさんにひばり節があるように、私もさゆり節を早く身に付けたい」と言い放ち、周囲を大いに慌てさせたというエピソードが残っています。石川本人は後に「若いから怖いもの知らずというか…」と苦笑いしたそうですが、そんな彼女を美空は可愛がり、折に触れて「歌が上手になったわね」とほめたりしたこともあったとか。石川さゆりこそ、自分の後に歌謡界を背負って立つ存在になると、美空ひばりには予感めいたものがあったのかもしれません。そして石川さゆりも、2000年まで10年間かけてアルバム全10枚・111曲の『二十世紀の名曲たち』シリーズを発表するなど、演歌を含めた歌謡曲の後継者として、日本の心を歌い継いでいるのです。
 



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