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サザンオールスターズの桑田佳祐誕生(1956〜)
2003年02月26日(水) sun.gif
  コミカルな曲で話題をさらい、バラードで日本中を口説き落とす

 サザンオールスターズの“顔”桑田佳祐は、その歌の世界からも自明なように湘南・茅ヶ崎の生まれ。1974年、青山学院大学の1年生だった時にフォークソング同好会でベースの関口和之と出会い、“温泉あんまももひきバンド”を結成したのが、サザンの始まりでした。オールド・ロックンロールとビートルズのカバーをメチャクチャなステージングで聴かせ、たちまちサークルの名物バンドとなり、キーボードの原由子らが加入して現在の形に近づいていきます。その間、バンド名は“ピストン桑田とシリンダーズ”“青学ドミノス”“脳卒中”“桑田佳祐とヒッチコック劇場”と変遷、最終的に落ち着いた“サザンオールスターズ”は、彼の友人が風呂の中で思い付いたものだったそうです。

 78年6月にシングル「勝手にシンドバット」でデビューしたサザンは、早くもその1ヶ月後にテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』に登場。前代未聞のジョギングパンツ姿で「勝手にシンドバット」を熱唱し、歌詞が聞き取りにくいと画面下にテロップを流されるという局側の過剰なサービス(?)もあって、一気に全国区の知名度を獲得します。翌79年には今でもサザンを代表する名曲「いとしのエリー」をリリースし、暮れの紅白歌合戦にも出場。名実ともにトップ・バンドに登りつめました。この、コミカルな曲で話題をさらった後にバラードで評価を決定付けるという手法は、ウルフルズをはじめさまざまなアーティストに受け継がれています。
 



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