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戦後を代表する大スター、石原裕次郎誕生(1934〜1987)
2004年12月28日(火) crowd.gif
  映画、ドラマ、そして歌…。52歳で世を去った永遠の青年

 生涯に主演した映画の総本数99本。昭和という時代を象徴した国民的大スター・石原裕次郎が惜しまれながらこの世を去って10余年の歳月が流れました。彼の演じたスクリーンの中の青年像には、シャイで育ちがよいのに、野性的で、翳りがあって、女にもてて、危なっかしい……など、若者の求めるすべてがあったといえるでしょう。たとえば、1957年のまさに今日、封切られた映画『嵐を呼ぶ男』の主人公、ドラマーの国分正一。ドラム合戦の前の日にライバルのさしがねで片腕を傷つけられてしまいますが、ドラムがだめなら歌があると、「おいらはドラマー、やくざなドラマー…」とアドリブで歌い出す場面の痛快さ!こんな派手な演出がピタリとはまるのも、タフガイ・裕次郎ならではです。

 また歌謡曲のスターとしても裕次郎は別格級の存在で、レコーディングした作品はなんと521曲。代表作に「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜も有難う」「ブランデーグラス」などがあり、若者たちに熱烈に支持されればされるほど彼は照れて、「俺は映画俳優だ、歌手じゃない!」と言った台詞は有名です。

 1972年に始まった『太陽にほえろ!』以降、活動の中心はテレビに。1981年、胸部大動脈瘤の発作を起こし、一時は生命を危ぶまれましたが無事回復、テレビ出演などで活動を再開。しかし1986年にはレギュラー番組を降板し、以後療養につとめていましたが、1987年7月17日死去。1990年、映画殿堂入り。1997年には戦後50年を代表する人物のひとりとして、美空ひばり、手塚治虫とともに記念切手になりました。
 



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