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ハンガリーの作曲家、コダーイの歌劇『ハーリ・ヤーノシュ』初演(1926)
2004年10月16日(土) sun.gif
  風刺と笑いで民族の魂を描いた傑作

 ゾルタン・コダーイ(1882〜1967)は、バルトークと並ぶ近代ハンガリーの代表的な作曲家です。彼の作品で最も知られ、演奏される機会の多いのは管弦楽のための組曲「ハーリ・ヤーノシュ」ですが、これはもともと退役軍人・ハーリじいさんの奇想天外なほら話を描いた「歌劇」として作られました。

 ハンガリーでは、聞き手がくしゃみをすると、その話は嘘だという言い伝えがあり、歌劇『ハーリ・ヤーノシュ』も壮大な管弦楽のくしゃみから始まります。国境警備兵をしていたハーリじいさんの若き日の冒険譚は、オーストリア王女に見初められたり、ひとりでナポレオン軍をやっつけたりと、それこそ奇想天外なもの。それでもみんなはハーリじいさんのほら話に心を躍らせ、熱心に耳を傾けます。舞台が現代に戻ると、みなは「俺たちは話をすっかり信じるよ」とハーリじいさんの肩を叩くのですが、聞き手の一人がまた大きなくしゃみをして、幕となります。

 この物語の背景には、長く他国の支配に苦しんだハンガリー民族の怒りや悲哀があるのですが、コダーイは、それに屈しない農民のたくましさやユーモアを、随所に盛り込んだ民謡や舞曲で表現し、楽しく、親しみやすい音楽劇としてまとめました。そして1926年の今日、ハンガリー国立歌劇場で初演された『ハーリ・ヤーノシュ』は、ハンガリー初の国民的オペラとして、大好評を博したのです。

 コダーイはバルトークと親友で、一緒に民謡採取旅行などにも行きましたが、性格も音楽も、またその人生も対照的でした。バルトークは厳しい創作態度を貫き通して孤高の芸術家となり、ナチス・ドイツ侵攻時にはアメリカに亡命。そのまま故郷に戻ることなく白血病で寂しく生涯を閉じましたが、コダーイは大戦中もハンガリーの地を離れることなく国民の心の支えとなりました。その穏健で親しみやすい音楽や、わらべ歌や民謡に基づく音楽教育を提唱した「コダーイ・システム」と呼ばれる教育メソッドで人々の尊敬を受け、戦後はハンガリー楽壇の最高指導者として数々の国際的栄誉も手にしたのです。
 



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