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珠玉のピアノ曲を数多く残したショパン
2004年10月17日(日) sun.gif
  珠玉のピアノ曲を数多く残したショパンが39歳の若さでパリにて没(1810〜1849)
ショパンをめぐる女性たち

 ポーランドに生まれ、パリで活躍したロマン派のピアノの巨匠・ショパンは、実に恋多き音楽家でした。彼にとっては恋愛が、曲作りのインスピレーションの源となったのです。

 最初の恋人は、ショパンがピアニストとして華やかなデビューを果たした19歳の時に出会った、コンスタンチア・グワトコフスカでした。彼女はワルシャワ音楽院で声楽を学ぶ学生で、後にショパンは、「ピアノ協奏曲ヘ短調」の抒情的な第2楽章には、この初恋の人へのひたむきな想いが込められていると語っています。

 二番目の恋人、デルフィーナ・ポトツカとは、パリの社交界で知り合いました。歌手だった彼女は、美しさに加えて教養も高く、すっかり熱をあげたショパンの様子を、友人たちは「ショパンはデルフィーナの歩いた後の地面にひれ伏した」と伝えています。「小犬のワルツ」は、彼女に捧げられた曲です。

 第三の恋人とは、ショパンが25歳の時、たまたま立ち寄ったドイツのドレスデンで出会いました。ショパンの幼友達、ヴォジンスキ伯爵の令嬢・マリアが魅力的な乙女に成長しているのを見て、一目惚れしてしまったのです。彼女はピアノも上手で、「ついに理想の女性とめぐり会えた」とショパンは真剣そのものでしたが、この恋も結局は実ることなく終わりました。「別れのワルツ」はこの時に生まれています。

 失意の日々を送るショパンに、友人のリストが一人の女流作家を紹介します。それが最後の恋人、ジョルジュ・サンドでした。当時としては珍しい自立した女性、サンドにショパンは次第に惹かれてゆき、その後9年に及ぶサンドとの生活の中から「ピアノ・ソナタ変ロ短調」など円熟期の名曲が次々と生み出されました。
 



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