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ドリフターズの「8時だよ!全員集合」が放送終了(1985)
2004年09月28日(火) rain-or-crowd.gif
  コントも演奏もすべて生放送! 伝説のバラエティ番組

 1970年代〜80年代前半にかけて、土曜日の夜8時、最高視聴率50.5%を記録し、「これを見なければ月曜日に学校や職場で会話に加われない」と言われたモンスター番組がありました。しかも放映は生中継のため、大がかりな長いコントも、ゲストの演奏もすべてが生の真剣勝負。まさにテレビ史上に燦然と輝く伝説的番組、それがドリフターズの「8時だヨ!全員集合」だったのです。

 ドリフターズは、もともとはまじめなジャズ・バンドとしてスタートしました。しかし60年代以降テレビ放送が本格化するにつれて、演奏をこなしつつコミカルな演出で客席を沸かすコミック・バンドが人気を得るようになり、先輩格のクレージー・キャッツ同様、ドリフターズもコミック・バンドへの道を歩み始めます。幾度かのメンバー・チェンジを経て65年には、いかりや長介(ベース)、加藤茶(ドラム/ボーカル)、高木ブー(ギター) 、仲本工事 (ギター/ボーカル)、荒井注(キーボード)というラインナップが完成。 そして翌66年にはビートルズの日本公演の前座として出演するのですが、ファンのビートルズへの熱狂ぶりに恐れをなし、「のっぽのサリー」を1コーラス、たった40秒だけ演奏して、いかりやの「逃げろ!」の声で一目散にステージから退散したというエピソードが残っています。そして、その様子を客席から見ていた中に、後に荒井注脱退後に新メンバーとして加わることになる、若き日の志村けんの姿があったというのも、何かの因縁かもしれません。

 もともとミュージシャンの集合体だっただけあって、ドリフターズの笑いにとって、音楽は欠かせない要素でした。ヒゲダンスのテーマはペンダグラス作曲「DO ME」の間奏が原曲ですが、あのダンスのために作られたとしか思えないほどのハマリ具合ですし、加藤茶の「チョットだけヨ〜ん」のBGM「タブー」は、おそらくペレス・プラード楽団のそれよりも、岡本章夫とゲイスターズの演奏のほうがエロティックさでは上でしょう。「東村山音頭」「カラスの勝手でしょ」など、番組から生まれた流行歌(?)も数多く、ゲストやレギュラーによる歌のコーナーも、番組の一つの目玉でした。

 彼らのコントの真髄は、綿密に練られた台本がまずあって、そこから各自のアドリブで盛り上げながら、決められたオチに向かって進んでいく、非常にジャズ・バンド的な成り立ちにありました。その辺りが、沢田研二はじめ、加山雄三、和田アキコといったスター歌手たちがこぞって、イメージも気にせず喜んでコントに参加していた秘密だったのかもしれません。なお、世界的な指揮者として知られる小澤征爾も彼らの熱心なファンで、出演こそしませんでしたが、たびたび見学に来ては楽屋でドリフの面々と談笑していたとか。かたや「低俗番組」としてPTAの目の敵、かたや“高尚な”クラシックの大物……やはり本物は本物を知るのでしょう。
 



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