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“世界のクロサワ”映画監督、黒澤明没(1910〜1998)
2004年09月06日(月) rain.gif
  世界の映画界に大きな影響を与え続けた“映画のシェイクスピア”

 “世界のクロサワ”といわれた映画界の巨匠、黒澤明監督が亡くなったのは98年9月のこと。折しもカナダのモントリオールやイタリアのベネチアでは国際映画祭が開かれており、世界中から集まった映画人に“クロサワ”の悲報は衝撃をもたらしました。

 スティーブン・スピルバーグ監督は訃報を聞いて、「現代における映画のシェイクスピア」と評し哀悼の意を示したといいます。“劇聖”シェイクスピアの戯曲は人類共通の文化遺産として多くの文学に影響を与えていますが、“黒澤映画”もその斬新な映像感覚、息もつかせぬストーリー展開の妙などで、さまざまな映画人に“シェイクスピア”的影響力を発揮しているからです。

 「完璧主義」で知られる黒澤監督。しかし一方で出演者を新聞で公募するなど、新しい試みも積極的に行っています。『影武者』(80年)の製作では、「今や日本映画は、新しい人材の発掘と、それを育てる事から出直さなければならない…」という文面の広告で出演者を公募。1万5千人の応募が殺到し、「織田信長」や「徳川家康」という重要な役どころに全くの新人を起用、それが見事にツボにはまり、画面に新鮮な息吹をもたらしていました。

 また、ラヴェルの名曲「ボレロ」で始まる『羅生門』(50年)など、映像と音楽の独特の組み合わせについても、黒澤作品は高く評価されています。三船敏郎の黒澤映画デビュー作である『酔いどれ天使』(48年)では、戦後の闇市の活気を笠置シヅ子が歌う挿入歌「ジャングル・ブギ」で表しましたが、なんとこの歌は黒澤監督自身の作詞によるもの。また効果音の使い方も斬新で、『用心棒』(61年)では初めて人を斬る音を派手に入れ、素早いリアルな殺陣(たて)との相乗効果で迫真の画面を演出。観る人を圧倒したのです。
 



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