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フレンチ・ポップスの女王、シルヴィ・ヴァルタン誕生(1944〜)
2004年08月15日(日) sun.gif
  60年代のブームから、今も衰えぬブロンドの妖精

 1960年代前半に、フランスで起こったロリータ系ガール・ポップのムーブメント=イエイエ・ブーム。その中心となったのは、16〜17歳でデビューしたフランスの女性アイドルたちで、中でもフランス・ギャル(←人名です!)と、ここで紹介するシルヴィ・ヴァルタンが人気を二分。当時日本でも、流行に敏感な若い女性は彼女たちの真似をし、内巻きのショートボブ・ヘアーに、ミニ・スカート&ブーツで街を闊歩したものです。

 シルヴィは1944年にブルガリアで生まれ、8歳のときに一家でパリに移住します。普通の高校生として暮らし、普通の16歳が憧れる程度に歌手を夢見ていたのですが、60年のある日、レコード会社でアレンジャーをしている7歳年上の兄から急にスタジオに呼び出されました。何でも予定していた女性歌手が現れず、急遽シルヴィがその代役としてフランキー・ジョルダンという男性歌手とデュエットすることになったのです。この曲がヒットしたおかげで、レコード会社と契約することとなり、61年に「悲しきスクリーン」でデビュー。美しいブロンドの髪と愛くるしい顔立ち、それにちょっと隙っ歯でキュートな口元のコケティッシュな魅力でたちまち人気が爆発し、63年には有名な「アイドルを探せ」という映画まで作られたほど。同名の主題歌も大ヒットしました。

 私生活でも、“フランスのエルヴィス”と呼ばれた人気歌手ジョニー・アリディと62年に知りあい、人気絶頂の65年に21歳で結婚。大スター同士の結婚なのに、マスコミも呼ばず片田舎の教会でひっそりと式を挙げる、今で言うジミ婚でしたが、どこから漏れたのか数百人ものファンが押し寄せ、彼女のドレスが破かれてしまうという散々な目にあったとか。

 イエイエ・ブームが下火になった60年代後半にも、「あなたのとりこ」といったヒット曲で健在ぶりを示したシルヴィは、70年代になるとアメリカにも進出。ヒット曲こそありませんが、ラスベガスでショーをしたり、フランス/アメリカ両国で、アイドルを超えたエンターテイナー的な存在になっていきました。現在もバリバリの現役で、日本にも92年、99年と来日、深みを増した歌声と変わらぬキュートなブロンドでファンを魅了しています。
 



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