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オーストリアの指揮者、カール・ベーム没(1894〜1981)
2004年08月14日(土) sun.gif
  巨匠ワルターに認められて大指揮者の道を歩み始める

 カール・ベームは20世紀半ばから後半にかけて世界的に活躍した大指揮者です。ベームの指揮は、たとえばフルトヴェングラーやトスカニーニ、あるいはカラヤンのように派手で個性的ではありませんでしたが、作曲者が望んだ音をあますことなくオーケストラから引き出す実直なもので、ドイツ音楽、とりわけモーツァルトの演奏は、師とも言えるブルーノ・ワルターゆずりの素晴らしいものでした。ここではそのワルターとベームの、出会いのエピソードをご紹介しましょう。

 1921年、ベーム27歳の時のこと。この時すでに故郷グラーツの劇場で首席指揮者の座を約束されていた彼に、一通の電報が舞い込みました。ベームの評判を耳にした大指揮者ワルターから、自分が音楽監督をつとめるミュンヘン国立劇場の第3指揮者の席が空いているので、試験を受けてみないかという誘いがきたのです。田舎の首席指揮者と都会の第3指揮者…。ベームは悩みましたが、思い切って試験を受けてみることにしました。試験はウェーバーの「魔弾の射手」の最終幕。ところがハプニングが起こりました。オーボエとクラリネットが一緒に演奏する場面で、待てど暮らせどクラリネットが出てこないのです。ベームはおそるおそるクラリネット奏者にどうしたのか聞いてみました。すると彼は「おれの楽譜にはここで吹くように書いてないぞ!」と答えたのです。見るとたしかにその通り。なんとベームの総譜と、このオーケストラで使っていたパート譜は“版”が違い、オーケストレーションも異なっていたのです。ベームは自分の総譜を見せて、本来はクラリネットも吹くのだと説明しようとしました。その時、突然誰かが彼の肩をたたいて「上出来だ、えらいぞ!」と叫んだのです。その声の主こそワルターでした。この一件でワルターの信頼を得たベームは、以後ドイツ・ナンバーワン指揮者の道を歩みはじめたのでした。
 



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