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ギタリスト、パット・メセニー誕生(1952〜)
2004年08月12日(木) sun.gif
  時代の先駆者・メセニーも、デビューには苦労した?

 もはやジャズ・ギタリストという形容が当てはまらないほど、さまざまなジャンルをクロスオーバーしたサウンドを生み出しているパット・メセニー。彼のデビューのきっかけも型破りなものでした。彼が18歳の夏、カンザス州の大学の音楽祭で、その日の出演者でビブラフォンの第一人者、ゲイリー・バートンの楽屋にいきなり押しかけ、「僕はあなたのグループのレパートリーだったら全部弾くことができます。だからあなたのグループに入れてください。」と訴えたのです。ゲイリーが試しに弾かせてみたところ、その演奏は非常に素晴らしかったものの、当然ながらグループには既にギタリストがいるわけで、入れてはもらえませんでした。そこで彼は一計を案じ、その後ゲイリーの自宅に、今度は12弦ギターを持って遊びに行きます。「これならもう1人のギタリストと音がぶつからない。」ということで、ゲイリーは彼の加入を認め、パットは晴れて21歳の74年、ゲイリー・バートン・グループのギタリストとしてデビューしたのでした。

 翌75年には初のリーダー・アルバム『ブライト・サイズ・ライフ』を発表。そしてゲイリー・バートン・グループ脱退後の78年、名パートナーとなるキーボーディストのライル・メイズらとパット・メセニー・グループを結成。グループ第1作の『想い出のサン・ロレンツォ』では、ジャズ/フュージョンを下敷きにしながらも、「フェイズ・ダンス」などスケールの大きい映像的なサウンドが反響を呼びます。翌年には様々な種類のギターとベースを、すべて1人で演奏したソロ作品『ニュー・シャトークァ』も発表し、グループとしての活動とアバンギャルドなソロ活動という2本柱を確立。さらに名曲「ついておいで」を収録し、いち早くギター・シンセを導入したことでも話題となった81年のグループ作品『オフ・ランプ』でグラミーを初受賞すると、その後はほぼ毎年のように同賞にノミネートされ続け、現在までに何と13個ものグラミーをゲット。常に時代を先駆けた意欲的な作品を生み出し続けているメセニーは、まさに真のクリエイターといえるでしょう。
 



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