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作詞家、秋元康誕生(1956〜)
2004年05月03日(月) rain-or-crowd.gif
  今なお全力疾走をつづける“時代の仕掛け人”

 とんねるずやおニャン子クラブの仕掛け人として、また「川の流れのように」などの作詞家として知られる秋元康は東京都目黒生まれ。小学校時代は体が弱く勉強ばかりしている少年、中学では不良グループともガリ勉グループとも仲のいい黒幕的存在だったとか。高校2年生のときニッポン放送に「平家物語」のパロディを送ったのがきっかけで、アルバイトとして放送作家の道に。「スター千一夜」「ザ・ベストテン」などテレビ史に残る番組を手がけ、大学時代には月収数十万円の売れっ子放送作家となっていました。

 作詞家として初めての仕事は1981年、アニメ「機動戦士ムテキング」のアルバムの中の一曲。早くも83年頃には「ドラマティック・レイン」(歌:稲垣潤一)「GOOD-BYE青春」(長渕剛)がヒットして注目を集めます。テレビ番組「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」の企画構成で高視聴率をあげるいっぽう、85年「なんてったってアイドル」(小泉今日子)「雨の西麻布」(とんねるず)などヒット曲を連発した秋元康は、まさしく“時代の寵児”でした。そして88年、美空ひばり最後の曲となった「川の流れのように」で、押しも押されもせぬ作詞の大家に。これまでに作詞した曲は、40代半ばにしてなんと4000曲近くにのぼるというのもオドロキです。

 そればかりか映画『グッバイ・ママ』『川の流れのように』などの監督としても活躍。98年にゲーム機のユニークなCM(湯川専務シリーズ)が話題を呼んだのも記憶に新しいところですが、近ごろではネットの可能性に注目し、ドラマやアニメなどコンテンツを企画。インターネットで毎日1分配信、365日で完結の連続ドラマ「グラウエンの鳥籠」や、WOWWOWで放映されたインターネットが展開の鍵を握るドラマ「Seven's Face」が話題を呼びました。また「人生には好きなことしかやる時間がない」(青春出版)、「一生を託せる『価値ある男』の見極め方」(講談社)など、著書も多数。ここで紹介しきれないほど旺盛な活動は、まさに“八面六臂”という言葉そのものです。余談ですが少年・秋元康が思い描いていた人生設計は、「東大から大蔵省に入って天下り」だったとか。もしもその通りになっていたとしても、きっと最高に有能な官僚だったに違いありませんよね!
 



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