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元ロック歌手のソニー・ボーノ、市長に当選(1988)
2004年04月19日(月) sun-or-crowd.gif
  結果と実績で物語る彼の実力

 1988年、圧倒的な支持を得て、元ロック歌手のソニー・ボーノ(1935〜1998)がアメリカ、カリフォルニア州パームスプリングの市長に当選しました。

 60年代に、フォーク・ロックブームの風を受け「ベイビー・ドント・ゴー」や「アイ・ゴット・ユー・ベイブ」など数々のヒットを生んだ夫婦デュオ、ソニー&シェール。70年代にはテレビのバラエティー番組『ソニーとシェールのコメディーアワー』に出演。一躍お茶の間の人気者となりました。

 コメディータッチで描かれる中に、作曲家ビリー・バーネスの曲をちりばめた大ヒット番組も数年後、ソニーとシェールの離婚により終わりを迎えます。その後、それぞれ番組を持ちますが失敗。あらためて2人で番組を始めますが人気を得ることはできませんでした。これを機に、シェールはソロ活動を始め、50歳を超えた現在も歌手として女優として活躍。98年にはシングル「ビリーブ」がナンバーワンヒットとなりました。

 一方ボーノは芸能活動以外での新たな道を模索し始めます。最初の挑戦はレストラン経営でした。ハリウッドに店を構え着々と事業を進めるボーノは店舗改修計画にまつわる役所の対応に憤慨し、自ら政治の道に進むことを決意しました。「タレントあがりの政治家に何ができる?」というような声も聞かれましたが、このような声に対してソニーは一度だけこんな発言をしたことがありました。「自分は、曲も詩も書けない能無しだと思われているが、10枚ものゴールドディスクをとっている。だから、政治家としてもちゃんとやっていける。」実は、彼は名プロデューサー、フィル・スペクターの元で作編曲を学び、ソニー&シェール以前にも作曲家としてヒット曲を出しているのです。ソニーはその言葉を裏付けるように、市長として、後に国会議員として、環境問題や法律作成など市民のために全力で取り組み実績をあげていきました。このような彼の仕事振りは市民や同僚にも認められ、どのような人とも区別なく接する彼の人柄もあり、ソニーは徐々に人々の尊敬を集めるようになりました。

 そんなさなかの98年1月、休暇中のスキー事故による彼の突然の死は、政治家として円熟を増し始めた時だけに多くの人に悲しみを与え、クリントン大統領からの弔辞も届きました。
 



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