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宝塚少女歌劇(現:宝塚歌劇団)が宝塚温泉で初公演(1914)
2004年04月01日(木) crowd.gif
  「清く正しく美しく」をモットーに、夢とロマンを追求

 男役も女役も、すべて女性が演じる劇団として有名な宝塚歌劇団。その初公演が行われたのは1914年のこの日のことで、演目は歌劇「ドンブラコッコ」、喜歌劇「浮世雲」、ダンス「胡蝶の舞い」というものでした。その題名から分かるように、いくら大正時代のこととはいえ、現代のいわゆるタカラヅカのイメージとはほど遠いものだったようです。

 宝塚歌劇団はもともと、親会社の阪急電鉄の乗客拡大と観光開発を目的に、当時大阪の三越が人気を集めていた少年音楽隊をまねて、少女に唱歌を歌わせることにしたのが始まりでした。当時の宝塚は、数軒の温泉宿しかなかった村でしたが、この試みは、大阪から日帰りで家族全員が安く楽しめる娯楽として、当時の人々の心をつかみます。女性が舞台で芸を披露することはまだ珍しい時代でしたが、「清く正しく美しく」をモットーに、良家の子女達による唱歌と、おとぎ話を題材とした歌劇でしたから、“女だてらに…”といった批判も少なかったようです。1921年には花組と月組に分けられ、1924年には雪組が加わり、当時としては東洋一の規模を誇る観客収容人員4000人の宝塚大劇場も作られ、スタートから10年で宝塚歌劇団はメジャーな娯楽となったのでした。

 しかし、大劇場のこけら落としの演目は「カチカチ山」と、ハードは立派になったのに、ソフトは昔のまま。もっと大人も楽しめて、人々の夢をかきたてる、洋風でモダンな演目が求められたのも、無理からぬ話です。そして1927年「モン・パリ」を上演。大階段あり、羽根扇あり、ラインダンスなど、現在の宝塚の要素をふんだんに散りばめたこの日本最初のレビューは、当時の人々を夢の世界に誘いました。さらにその3年後には、あの有名な「すみれの花咲くころ」を主題歌とした『パリゼット』で、レビューのスタイルを確立したのです。

 第2次世界大戦中に一時中断期間はあったものの、戦後すぐに再開され、人々に夢とロマンを与えてきた宝塚歌劇。1974年には「ベルサイユのばら」で史上空前のブームを起こします。現在活躍中の女優にも、黒木瞳、天海祐希、純名理沙ら、「ベルばら」に魅せられた宝塚出身者は少なくありません。どこまでも豪華絢爛で、まばゆいばかりにロマンティックな世界に、一度触れてみてはいかがでしょうか
 



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