個別表示

ロック・ギターの“求道者”、エリック・クラプトン誕生(1945〜)
2004年03月30日(火) rain.gif
   1960年代から現在に至るまで第一線で活躍しているスーパー・ギタリスト、エリック・クラプトン。60年代は、1963年のヤードバーズ加入を皮切りに、ブルース・ブレイカーズ〜クリーム〜ブラインド・フェイス〜デレク&ザ・ドミノスとバンド遍歴を重ねながら、ブルース・ギタリストとして自らのスタイルを追求。この頃、クラプトンのギター・プレイは、そのプレイ・スタイルから“スロー・ハンド”と呼ばれていました。それはどんなに速弾きしても、弦を押さえる左手の動きがスローに見えたというのが由来だと言われてますが、その正確で抑えの効いた演奏ぶりを物語っています。ちなみに、クラプトンを初めてスロー・ハンドと紹介したのは、1963年、クラプトンが在籍していたヤードバーズのライブ盤のライナーノーツでした。

 70年に「いとしのレイラ」がヒットした後、麻薬中毒で一時期音楽界から遠ざかったクラプトンですが、1974年のアルバム『461オーシャン・ブールバード』で完全復活。リラックスした雰囲気の中で土臭い乾いたサウンドを聴かせ、ボブ・マーリィのカバー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は全米No.1ヒットを記録します。クラプトンは数々の名曲を世に送り出していますが、この70年代に作られた「いとしのレイラ」や「ワンダフル・トゥナイト」は今でも人気のある曲で、コンサートでは欠かせぬレパートリーとなっています。

 80年代以降は、渋いボーカルとイタリアン・カジュアルを着こなすダンディぶりで、さらに幅広いファンを獲得します。近年では、シングル「ティアーズ・イン・ヘブン」、そしてグラミー賞で6部門の受賞に輝いたアルバム『アンプラグド』の大ヒットなど、その活躍は留まることを知りません。

 最後に、クラプトンの人間性を表すエピソードをひとつ。1974年に行われたアメリカでのツアーでのこと。観客は大歓声でクラプトンを迎えましたが、中には悪ノリする客もいて、花火や瓶がステージに投げ込まれることもありました。ある会場では客席から投げ込まれたビール瓶がバック・ミュージシャンの手を直撃。しかしクラプトンは激怒する代わりに丁寧な口調で客をなだめ、ブルース・ナンバー「Don't Have To Hurt Nobody(人を傷つけちゃいけない)」を演奏。実にスマートな対応をしたのでした。
 



- Web Diary Professional ver 2.28 -