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シンガーソングライター、尾崎亜美誕生(1957〜)
2004年03月19日(金) sun.gif
  抜群のポップ・センス、幅広い交友関係

 自らのヒット曲「マイ・ピュア・レディ」のほか、杏里の「オリビアを聴きながら」や松田聖子の「天使のウィンク」の作者として知られる、シンガーソングライターの尾崎亜美。2001年は歌手活動25周年を迎え、2枚のベスト・アルバムに加え、細野晴臣、奥田民生、福山雅治、大貫妙子ら豪華なゲストとともに制作した記念アルバム『Amii−Phonic』を発表するなど、大いに話題を集めました。

 8歳でクラシック・ピアノを習い始めたという尾崎亜美は、16歳のころから作詞作曲をするようになります。初めての作品は「ひとりっこカバっこ」というタイトルで、“シャバダバダ、カバダバダ、カバダ〜”というユニークなサビを持つ曲だったとか。デビューは1976年で、当時は荒井(松任谷)由美、中島みゆき、大貫妙子、矢野顕子ら女性アーティストの活躍が脚光を浴びていました。77年に3枚目のシングル「マイ・ピュア・レディ」が大ヒット、さらに78年には「ストップ・モーション」での、シングルとアルバムの両ヒットで人気を決定付けます。少し舌足らずでキュートな歌い方ながら、ときにはハスキー、ときにはパワフルと表現力豊かなボーカルはもちろん、さらりとさわやかに女性心理を歌いあげる詞と曲が女性から男性まで幅広く支持されたため、楽曲の依頼も多く、南沙織に「春の予感」を提供したのを皮切りに、桜田淳子、松田聖子、松本伊代、高橋真梨子、最近では観月ありさなど、数多くの作品を手がけています。特に杏里の「オリビアを聴きながら」は、今や女性のカラオケの定番となっているほど、スタンダードとして親しまれています。

 89年から91年まで一時的に休業したことはあるものの、マイペースで意欲的な作品を発表してきた尾崎亜美。飾らない人柄から交友関係は広く、25周年記念アルバムも、「ご飯を食べに来た人たちと、こんなのやりたいって言ってたら、ホントに実現しちゃった」とか。プライベートでは97年に、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシストでプロデューサーの小原礼と結婚。その結婚式では、なんと神父が来られなくなったため、参列者として招かれていた聖飢魔IIのデーモン小暮が代役を果たすという、世にも珍しい式になったそうです。そうした屈託のなさこそが、彼女の音楽の魅力となっているのかもしれません。

※おんがく日めくりの更新は2002年10月をもって終了しました。
 コンテンツは、アーカイブとして継続公開します。
 



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