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作編曲家/プロデューサー、クインシー・ジョーンズ誕生(1933〜)
2004年03月14日(日) sun.gif
  映画、テレビにも進出した黒人音楽界のパイオニア

 フランク・シナトラからチャカ・カーンまで、あらゆるタイプのアーティストのプロデュースを手掛けているクインシー・ジョーンズ。プロデューサーとしてのみならず、自身のレーベル、クエストを設立したり、音楽誌「ローリング・ストーン」に対抗して「ヴァイヴ」を創刊するなど、マルチな活動で知られています。また、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ボブ・ディラン、マイケル・ジャクソン、レイ・チャールズなど45人ものビッグ・アーティストが参加したチャリティ・ソング、「ウィー・アー・ザ・ワールド」の仕掛け人としても有名です。

 クインシーの音楽経歴は、14歳の時にトランペットを始めたことからスタートし、ライオネル・ハンプトン楽団、ディジー・ガレスピー楽団とジャズ界の主流を歩みます。1956年、そうそうたるミュージシャンを集めて初リーダー作『私の考えるジャズ』をリリース。このころから、作編曲家として大きな注目を集め、1961年にはマーキュリー・レコードの副社長に就任。1963年にはカウント・ベイシー楽団のための編曲「愛さずにはいられない」で初めてのグラミー賞を獲得。また同年シドニー・ルメット監督の映画『質屋』でハリウッド音楽界にもデビュー。ジャズやソウルのエッセンスを映画やテレビの音楽に持ち込みます。1967年〜75年に手がけたテレビドラマ『鬼警部アイアンサイド』の主題歌は、最も初期のシンセサイザー音楽の成功例として知られ、日本でもテレビのワイドショーのジングルなどでおなじみです。さらに映画全体のプロデュースにも進出し、1985年、スピルバーグ監督と共同で『カラー・パープル』をプロデュース。主演のウーピー・ゴールドバーグをメジャーにしたこの映画は、オスカーの11部門ノミネートを獲得し、クインシーの名声をさらに広めました。

 ジャズ、ソウルはもちろんのこと、アフリカ音楽、ブラジル音楽などあらゆる音楽の特徴をとりいれたクインシーのサウンドは、ゴージャスでスピード感にあふれ、聴く人を惹きつけて離しません。もちろん、黒人として音楽ビジネスの道を切り拓いてきた功績も大きく、マイケル・ジャクソンは、95年のベストアルバム『HIStory』に“Thank you Quincy, for showing us the way. We love you madly...”と書き、クインシーへの感謝の気持ちを表しています。
 



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