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身寄りのない女の子たちのために楽団を作った「赤毛の司祭」
バロック時代を代表する作曲家のひとり、アントニオ・ヴィヴァルディは、イタリアのヴェネツィアに生まれ、父親からバイオリンの手ほどきを受けました。15歳で教会に入り、25歳で司祭となりますが、彼が聖職者の道を選んだのは、音楽家として活動するのに、教会に所属していた方が都合が良いと考えたからのようです。髪の毛が赤かったことから「赤毛の司祭」と呼ばれ、親しまれていました。
やがて彼は、身寄りのない女の子たちを育てるピエタ養育院のバイオリン教師になり、楽団を作って熱心に指導しました。当時ヴェネツィアは音楽が盛んでしたが、中でもヴィヴァルディの率いるピエタ養育院のオーケストラの評判は高かったと言います。そんな彼女たちのために、彼はたくさんの曲を作曲しました。
よく知られた協奏曲集「四季」は、47歳の時に書かれた作品です。「和声と創意の試み」と題されたこの協奏曲集は、もともと12曲からなるものですが、最初の4曲「春」「夏」「秋」「冬」があまりにも有名になり、「海の嵐」「喜び」「狩」など残りの8曲は影が薄くなってしまいました。この協奏曲集に代表されるように、ヴィヴァルディは、急−緩−急(速い−ゆっくり−速い)という3つの楽章からなる形式を作り上げ、後の作曲家たち、バッハやヘンデルに大きな影響を与えました。 |
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