個別表示

作曲家、モーツァルト誕生(1756〜1791)
2004年01月27日(火) sun.gif
  幼い頃から大天才、しかもかなりの速筆家

 ザルツブルグ生まれのモーツァルトは、幼い頃から大変な神童ぶりを発揮していました。例えば、3歳にして絶対音感のあることを示し、5歳でメヌエットを作曲。8歳の時には交響曲まで書いています。もちろん演奏の方でも早くから人前に立ち、ウィーンのシェーンブルン宮殿で皇帝フランツ1世と女帝マリア・テレジアを前にクラヴィーアを演奏したのは、まだ6歳の時でした。

 同じく6歳、モーツァルト家で宮廷楽団のメンバーによるバイオリン三重奏曲の練習が行われた時のこと。父親からもらった練習用の小型バイオリンを毎日、自己流で練習していたモーツァルトは、一緒に第二バイオリンを弾かせてほしいと父親に頼みます。しかし正式なレッスンを受けていなかったため、この申し出は父親には受け入れられませんでした。そこで直接、第二バイオリン奏者にかけあうと、誰にも聞こえないような小さい音なら、ということで許可を得ます。ところが、いざ練習が始まってしばらくすると、第二バイオリン奏者は自分のバイオリンをそっと膝の上に置いてしまいました。モーツァルトの弾くバイオリンが、自分のよりも上手に鳴っていたからです。

 14歳の時には、ローマのシスティナ礼拝堂を訪れ、門外不出と言われたアレグリ作の九声合唱曲「ミゼレーレ」を一度聴いただけで頭に入れ、あとから正確に書き直したところ、盗み見たのではと疑いをかけられたそうです。しかし記憶力によるものと分かった結果、感嘆した教皇クレメンス14世から勲章を贈られた、という話も残っています。

 また、彼は35歳という短い生涯に書き残した作品が700曲以上。このことから、かなりの速筆家としても有名です。名曲として知られる最後の3曲の交響曲(第39番変ホ長調、第40番ト短調、第41番ハ長調『ジュピター』)は、1788年の6月からわずか42日間ですべて書き上げたとされていますし、死の年に書かれたオペラ『皇帝ティトゥスの慈悲』もたったの18日間。その4年前の『ドン・ジョヴァンニ』の序曲は、初演の前夜に作曲したと伝えられています。

 いずれにしても、モーツァルトは、凡人には及びもつかない天才の中の大天才だったようですね。
 



- Web Diary Professional ver 2.28 -