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歌手、タレントの堺正章誕生(1946〜)
2004年08月06日(金) sun.gif
  グループサウンズ〜ソロ歌手、さらに司会やドラマでも活躍

 名司会者として、俳優として、コミカルな持ち味でテレビでおなじみのマチャアキこと堺正章。古くは「西遊記」の孫悟空役、「歌のトップテン」の司会、「紅白歌合戦」の司会など当たり役は多く、最近では「ちゅらさん」のお気楽オヤジ役もハマっていましたし、お正月恒例の「芸能人隠し芸大会」のトリを務める存在、としても有名ですね。そんな彼が世の中に知られるようになったのは、60年代のグループサウンズ時代に“日本のビートルズ”と呼ばれたスパイダースのボーカリストとしてでした。

 スパイダースは1961年にドラマーの田辺昭知(しょうち)をリーダーに結成されたバンドで、徐々に井上孝之(現・尭之)、大野克夫、かまやつひろし、井上順、堺正章という錚々たる面々が集まっていきました。デビューは65年、当時日本でも人気絶頂だったビートルズの“リバプール・サウンド”に対抗して、“トーキョー・サウンド”を提唱。デビュー・アルバムは何と全曲オリジナル曲で、初期のビートルズやストーンズ、アニマルズといったブリティッシュ・ビートをベースに、デビュー曲の「フリフリ」では3・3・7拍子を取り入れるなど、日本初の日本語による日本的ロックを体現してみせたのです。セカンド・アルバム以降では積極的にカバー曲も演奏していますが、堺は「孤独の叫び」などアニマルズの曲を好んで取り上げ、エリック・バードンばりのR&Bフィーリング豊かなシャウトを聴かせています。

 ただし、そうしたユニークな音楽性があまり理解されたとは言い難く、当初スパイダースの人気はそれほど高くはありませんでした。転機となったのは67年の「夕陽が泣いている」です。浜口庫之助作詞・作曲によるこの曲、あまりに歌謡曲じみていると、メンバーは全く好きではなかったそうですが、結果は超大ヒット。一躍スパイダースは人気バンドとなり、以後、歌謡曲的なGSと本格的ロック指向のバランスをうまく取りながら、次々と素晴らしい作品を発表していくようになります。名喜劇俳優・堺駿二を父に持つ堺と、もう1人のボーカリスト井上順のコミカルな面を生かし、映画も次々と作られるほどでしたが、69年ごろには堺、井上順、かまやつらのソロ活動が目立つようになり、71年にスパイダースは解散しました。

 ソロとなった堺は「さらば恋人」などのヒットを飛ばしますが、次第に喜劇センスを生かした俳優・司会業へと転身していったのです。それでも「やっぱり歌ってるときが一番好き」という彼は、99年に井上堯之とかまやつの3人でソン・フィルトル(両切り煙草)というバンドを結成、紅白にも出演して衰えぬ喉をアピールしました。
 



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