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アメリカのシンガー、ペリー・コモ誕生(1912〜2001)
2004年05月18日(火) sun-or-crowd.gif
  シナトラやクロスビーと並び称されるスーパー・スター

 フランク・シナトラやビング・クロスビーと並ぶアメリカ芸能界のスーパー・スター、ミスターCことペリー・コモは、1912年にペンシルヴァニア州の小さな炭鉱町でイタリア系移民の子として生まれました。13人兄妹の7番目で、小さなころから自立心旺盛だった彼は、11歳から床屋の見習いとして働き始め、14歳でささやかながら自分の店を持つまでになります。歌を愛し、またサービス精神も旺盛だった彼は、お客さんにあるサービスを始めました。それは、カットやひげそりのほかに、自慢の美声を披露するというもの。その歌の上手さが評判となってお店は大繁盛。「歌う床屋さん」の評判はどんどん広まっていき、36年にはとうとうプロ歌手としてデビューすることになったのでした。

 45年の「時の終わりまで」が初めての全米ナンバーワンに輝き、その後も「星を見つめないで」「パパはマンボがお好き」「イッツ・インポッシブル」「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」など、全米ナンバー・ワンとなった歌は14曲。大人の恋心をしっとりと表現する、穏やかで甘い低音が魅力で、バラードを歌わせれば右に出る者はいないといわれるほどでした。48年〜63年まで放映された人気テレビ番組『ペリー・コモ・ショー』は日本でも放映され、『夢であいましょう』などの日本のバラエティ番組の手本になったともいわれています。映画出演などの派手な活動はしなかったため、シナトラやクロスビーに比べると地味な印象はありますが、その分スキャンダルに見舞われることも少なく、「庶民派の大ポピュラー歌手」として愛されたペリー・コモ。2001年5月12日に老衰のため他界した際は、アメリカ中が哀しみに包まれました。
 



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