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ジャズ・クラリネット奏者、北村英治誕生(1929〜)
2004年04月08日(木) sun-or-crowd.gif
  日本のジャズを支える大御所の飽くなき向上心

 日本が誇るジャズ・クラリネットの第一人者、北村英治。料理通として、あるいはニュースキャスターとしてテレビでも活躍し、最近では「おもいっきりTV」にレギュラー出演しているので、もうおなじみですね。北村とジャズとの出会いは、14歳のころ、父のレコード・コレクションにあった米国のクラリネット奏者、ベニー・グッドマンの作品を聴いて衝撃を受けたことに始まります。以来、母から「敵国の音楽を聴いていると憲兵に引っ張られる」と脅されながらも、押し入れの中でこっそりレコードのミゾが擦り減るまで聴いていたそうです。大学在学中から進駐軍やクラブのバンドで演奏したりして腕を磨いてきた北村は、1951年に南部三郎クインテットの一員としてプロ入り。以後、57年に憧れのベニー・グッドマンとジャムセッションを行ったり、77年には名門のモンタレー・ジャズ・フェスティバルに招待されるなど、スタープレイヤーとしてジャズ界を支えてきました。現在まで吹き込んだアルバムはゆうに100枚を超えるほか、若手の育成にも熱心で、ヤマハの主催する管楽器版のカラオケ・コンテスト『管カラ』の審査員も務めています。

 そんな北村英治の有名なエピソードが、“50歳での弟子入り”。若いころからトップ・プレイヤーとして活躍してきた北村ですが、演奏法はすべて独学で身に着けたもの。50歳になってふと、「100歳まで吹きつづけるにはやはり基本から学まねば」という思いに至り、師匠を探しますが、もはや彼を師匠と崇める人はいても、師匠になろうなんて人はいない状態。さんざん探した結果、かつてから北村のファンで、クラリネットを勉強してドイツ留学から帰ってきた東京芸大助教授の村井祐児さんに白羽の矢が立てられます。11歳も年上の憧れのプレイヤーに「師匠になって」と言われた村井は驚いて、最初は「50歳を過ぎて進歩はない」と断りますが、北村の情熱に負けて承諾。しかし、いざ師匠となった村井は厳しく、「クラリネットは近くで聞いてもうるさくなく、遠くからもさりげなく聴こえなくてはいけない。あなたのクラリネットは近くではうるさく、遠くから聴けば何だかわからない」と、第一人者のプライドを容赦なく粉砕し、「この曲からやり直しなさい」と「ちょうちょ」の楽譜を渡したとか……。それでも嬉々としてレッスンに励み、「先生が言っていたことはウソでしたよ。ぼく、あのころより、確実に上達しているもの」と語る北村英治。その飽くなき向上心で、21世紀も、彼にしか出せない円熟の音色を聴かせてくれることでしょう。

★北村英治オフィシャル・ページ = http://eijikitamura.com
 



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