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S&Gの『明日に架ける橋』が第13回グラミー賞で5部門独占(1971)
2004年03月16日(火) sun.gif
  最高の評価を得たアルバムを最後に、活動を中止したサイモン&ガーファンクル

 今日本では、“ゆず”や“19”などのフォーク・デュオが人気ですが、その元祖とも言えるのがサイモン&ガーファンクル(S&G)です。1941年10月13日生まれのポール・サイモンと、同年11月5日生まれのアート・ガーファンクルが初めて出会ったのは、同じ小学校で劇「不思議の国のアリス」に出たときのこと。ポールは白うさぎ、アートは猫の役でした。それ以来彼らは親友となって一緒に歌うようになります。そして16歳の夏休みに作ったデモ・レコードがレコード会社の目に留まり、「ヘイ・スクール・ガール」というシングルでデビュー。この曲は10万枚売れるスマッシュ・ヒットとなり、“トム&ジェリー”という彼らの芸名もそこそこ知られるようになりました。

 しかし、大学進学にあたって厳格なアートの両親は学問の道を希望。音楽の道を選んだポールとは別々の学校に進みます。イギリスに渡ったポールは、各地のクラブで歌いながら放浪の旅を続け、自作曲を書き貯めていきます。63年、イギリスから戻ったポールは、ボブ・ディランのプロデューサーに才能を認められてアルバムを作る機会を得、アートを呼び寄せて“サイモン&ガーファンクル”としてのデビュー作『水曜の朝、午前3時』を64年7月にリリースします。しかし、時代はちょうどビートルズ旋風の最中。アコースティックなフォーク・アルバムは全く話題にもならず、失意のポールは再びイギリスに渡ります。

 ところが彼らの知らないところで、状況は変わり始めていました。デビュー作に収められた「サウンド・オブ・サイレンス」の曲の良さに目をつけたあるプロデューサーが、オリジナル・テイクにエレキギターやドラムを重ねた別テイクを作り、シングルとして発売したのです。このエレキ版「サウンド・オブ・サイレンス」はじわじわとチャートを上昇、66年1月にはビートルズの「恋を抱きしめよう」と激しいトップ争いのすえ、ついにビルボードの1位に輝いたのです。

 こうして一躍注目を集めたS&Gの人気は、68年の映画『卒業』のサントラ盤でさらにブレイク。ポールの書く美しいメロディ、深みのある歌詞、そして2人の絶妙なハーモニーは、ロック全盛期の喧噪に疲れた人々の心を優しく癒しました。その集大成となったのが、70年2月発売のアルバム『明日に架ける橋』です。タイトル曲が10週間もビルボード1位に輝いたのを始め、「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」など、珠玉の名曲を収めたこのアルバムは、第13回グラミー賞でビートルズの『レット・イット・ビー』を抑えてベスト・レコード賞、最優秀アルバム賞など5部門を独占したのでした。

 一方、映画俳優としての活動を本格化させたアートと、全ての楽曲を書いていたポールとのすれ違いが表面化したのも、このアルバムの制作を通してでした。ポールの書いた1曲がアートの気に入らず、ボツにされたこと。そして当初2番までだった「明日に架ける橋」に、アートの提案で無理に3番が書き加えられたこと…。こうして亀裂の生じた二人は、このアルバムを最後にS&Gとしての活動を停止。その後ポールはソロアーティストとして『ポール・サイモン』(72年)、『時の流れに』(75年)、『グレイスランド』(86年)などの傑作を発表、寡作ですが現在でもポップス界の重要なアーティストとしての地位を保っています。

 さらに、時間が彼らの関係を修復したのか、81年9月にはS&Gとしてニューヨークのセントラル・パークに50万人を集めたコンサートを開き、82年5月、93年12月とS&Gとしての来日公演も実現。ファンをよろこばせました。
 



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